2022-12-20

QED進学塾の中1生(U,K,A)~今回の英語・数学・社会科(3/3)

QED進学塾の中1生のUくん・Kくん・Aくん(入塾順)の今回の英語・数学・社会科です。
塾長は、4日前から3部作で連載記事を書いています。
今日は、その第3回目です。
今回の主人公はKくんです。

【時間割】
1時間目=英語=Kくんの質問した「There is」の文。~学校の冬季課題の問題から。
2時間目=数学=Aくんの質問した「方程式」の文章問題。~2学期期末試験の問題から。
3時間目=社会科=Uくんの質問した「1問1答式問題」の学習法。~学年末試験の試験範囲から。
以上が今回の時間割です。

【1時間目=英語】(Kくんの質問)
Kくんは、学校採択教材の『冬期テキスト 中1英語』を塾に持参して、「There is」の文の仕組みを学習しました。
授業時間はぴったり60分間でした。
UくんとAくんもKくんに便乗して、1時間の授業を受講しました。

1.「There」は、「そこに・そこで」という意味の副詞ではない。
2.天気や時間の「It」が仮主語であるのと同様に、「There」もまた仮主語である。
3.be動詞の後ろに意味上の主語を置く。
4.be動詞は、漠然とした人または物が「いる」または「ある」ことを表わす。

Kくんの持参した教材には、詳しい説明が書いてありません。
そこで、塾長はまず上記の4行を説明しました。
ですが、これだけでは何のことか分かるはずもなく、3名とも「?」「?」「?」でした。

英語は、日本語以上に名詞を細分化します。
その名詞は、数えられるのか否か、
(=その名詞は、決まった形があるのか否か、)

もし数えられるのならば、
(=決まった形があるのならば、)
それは単数なのか複数なのか、

さらには、その名詞は特定できるのか否か、
以上のような観点から名詞を細分化するのです。

たとえば「本。」
日本語では「本」だけで済ますところですが、英語は「book」だけという訳には行きません。

1.これと決まっている1冊の本(その本)=「the book」
2.これと決まっていない1冊の本=「a book」
3.これと決まっている2冊以上の本(その本)=「the books」
4.これと決まっていない2冊以上の本=「books」

ざっと書いただけでも上記の4種類があります。
日本人の感覚では理解しがたいところですが、英国人の感覚ではこれが普通なのでしょう。
これはもう文化の違いとしか言いようがありません。

「外国語を学ぶことは、異国の文化を学ぶことである。」
上記は、塾長が高3のときの英語の先生の言葉です。
塾長は、その通りだと思っています。
だから、塾生にもこの言葉を教えているのです。

【例文1】Tom is in the park.
(トムくんがその公園の中にいます。)
この例文では「トムくん」とはっきり決まっています。
ですから、これは前述の「1.」に該当します。

【例文2】There is a boy in the park.
(1人の少年がその公園の中にいます。)
この例文では「少年」が誰なのか、はっきり決まっていません。
ですから、これは前述の「2.」に該当します。

また、単数の「1.」と「2.」を、複数に代えたものが「3.」と「4.」ですから、
「There is」を「There are」に代えればよいことを、3名は直ぐに理解してくれました。

ここまで勉強すれば、【例文1】と【例文2】の使い分けが理解できます。
この授業を受講した3名は、理屈が分かって納得の表情でした。

大事なことなのでもう一度書きます。
「外国語を学ぶことは、異国の文化を学ぶことである。」

今回の授業で3名が得たものは、「There is」「There are」を用いた英作文の書き方だけではありません。
もちろん、書き方を覚えたことは大きいですが、それ以上に大きかったのは「文化の学び方」であったと塾長は考えています。

「There is」「There are」の文の書き方をパターン学習で覚えて終わり、そんな学び方をした子の収穫は「There is」「There are」だけです。

ところが、「There is」「There are」の文の背景にある、「英国人のものの考え方」や「英国の文化」を学んだ子は、「英語の学び方」を学んだと言えるでしょう。

3名はまだ中学1年生です。
中学3年間+高校3年間+大学4年間=10年間。
仮に3名が大学院に進学しなかったとしても、この先10年間も英語学習は続くのです。

その間に学ぶ膨大な英文法をパターン学習で何とか覚えようとするのは、「労多くして、益少なし。」です。
なぜならば、それは本質から外れた英語の学び方だからです。
そして、そんな英語の勉強が楽しいはずがないと塾長は思うのです。

「英国人はどのように考えているのだろう。」
「この英文の背景にある英国の文化は何だろう。」
このように考えながら英文法を学べば、無味乾燥な暗記の100倍楽しいでしょう。
塾長は、これが本質的な勉強の仕方だと考えます。

「学問に王道なし。」と言われます。
しかしながら、もし王道があるとすれば、それは本質・核心を突いた学習ではないでしょうか。
「文化」を学ぶことは、一見回り道のようでも、実は近道であると塾長は考えています。
それは、英語学習の10年間にも及ぶ長期戦の、後になればなるほどに、学力の伸びが加速度的に増加して行く勉強法だと思うからです。

3名が楽しく英語を学びながら、自然に「学び方」を身に着け、学ぶほどに英語力が加速度的に伸びていく、そんな未来を常に思い描きながら、塾長は授業をしています。

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